尾瀬や谷川、上州武尊、日光白根といった名山に囲まれた利根沼田地域は、私の登山の原点だ。

小学6年生の夏に谷川岳に登り、その秋には上州武尊に登った。中学生になってからも、サッカー部とボーイスカウトを掛け持ちしながら、隙があれば山に登った。なかでも、利根沼田地域は高崎からはアクセスが良く、何度も通った。
それどころか、ママチャリで片道4〜5時間かけて沼田やみなかみに行ったこともあった。

しかし、その中でも、盲点というか、あまり足跡を残してこなかったエリアがある。

奥日光の白根山から南に、群馬・栃木に跨る広大な山地、足尾山塊だ。
その盟主、皇海山は父と登った数少ない山にして、唯一、そのエリアに足を踏み入れた経験である。

三重泉沢は、私にとって馴染み深い「吹割の滝」付近で片品川に合流する泙川を、東へ遡った先にあり、八丁暗がり」と呼ばれるゴルジュ帯を抱く。

狭い林道を落石を除けながら、山の奥へ奥へと分け入っていく。林道ゲートから1時間ほどで三重泉沢の出合へ。
平凡な川原と、砂防堰堤を2つ越えて、ようやく沢登りらしくなる。

ここのところ、4日間雨が断続的に降っていたが、水位は許容範囲でほっとした。
それでも、山全体が潤っており、空模様に比例してか空気が澱んでいる。どこかから漂う獣臭が、歩を進めても消えず、徐々に高くなる側壁に幾許かの圧迫感を覚える。下部ゴルジュの始まりだ。

シカの頭骨
下部ゴルジュの始まり

出だしの釜を少し泳いで容易に越えると、チョックストーンの滝。

一般的に1泊2日で登られることの多いルートだが、今回は日帰りなのであまり余裕はなく、登攀の可能性をしっかり探るまでもなく、巻きに入る。

そしてこの巻きが結構悪い。外傾スタンスにニュルニュルの泥。ブッシュも乏しい。
強度は信頼できないが古びたトラロープが張ってあり、目印にはなる。最小限の巻きになるような実に合理的なラインを突いていた。

続く5〜7mくらいの滝2つも厳しそうに見えたのでそのまま慎重に巻いて沢床に戻ると、中部ゴルジュはほぼ終了だった。

高巻きしたチョックストーン滝
中部ゴルジュ出口付近

上部ゴルジュは、4mチョックストーンから始まる。
中部ゴルジュはほとんど巻いてしまったので、そろそろ真っ向勝負がしたい。

ボイルの中がどうなっているかが不確定要素だが、取り付いてしまえば登れそう。
ロープを付けて突入すると、水流は大したことなくほとんど足も付いたので簡単に登れてしまった。

4mCS滝 左のワイドから登る

その先の3mCS滝が今回の核心だろう。
ぱっと見て登る方法は3つある。

一番可能性が高いのが、水流左の窪地に入り込んで水線突破。ただし、窪地に入れるかがちょっと微妙。
次に、中央のワイドを直上。水流のリスクは小さいが、離陸が難しそう。
最後に右壁にかかるスリングを使った人工登攀。

とりあえず、真ん中が登れるか様子を見て、無理なら左をトライするつもりで取り付く。
大岩の被さっている真下に入ると、なんだか縦筋の入った物体が浮いている。

「ウ、ウリ坊だぁ…!」

声にならない悲鳴をあげて、浮いている流木で突っつき、ワイドの真下に入る。
下部はハングしていて、両足を張れるような感じでもないから厳しそうだ。と、思ったら、さっき除けたはずのウリ坊が真横にいる。
一瞬ギョッとするが、もはや構っている余裕はない。クラックに挟まるチョックストーンを使って体を引き上げながら脚を張り、なんとか這い上がった。

ちょっと厳しいムーブで上がったので、フォローはアセンディングしてもらう。
フォローもギョッとして、ウリ坊を水流側に押しやったが、反転流に乗って同じ位置に戻ってきてしまった。
どんな経緯で滝壺に留まっているのか私にはわからないが、滝壺の中を漂流する姿に、思わず彷徨う霊魂を想像してしまう。

不慣れなアセンディングをサポートして、ようやく落ち口に辿り着くと、気づけばウリ坊はどこかに消えていた。
不憫なウリ坊は無事成仏した、と勝手に納得して先へ進む。

核心の3mCS滝

この先にも泳いで突破する釜や滝が出てくるが、日差しも届くようになり気持ちに余裕が出てくる。
次第に沢が開けて、広河原へ辿り着いた。

足元をイワナが走る清流と青い空、鮮やかな緑。「死」を連想させる陰惨なゴルジュ内と打って変わり、「生」を象徴する場所に出て、開放感に満たされた。
どうせなら、ここでイワナを釣って、焚き火をしながら夜を明かしたかった。

広河原の清流
下山途中に皇海山が見えた

帰路はニグラ峠を越えて、本流沿いの林道を下った。途中集落跡があり、足尾銅山が稼働していた時代には、この辺りから薪炭を供給するルートがあったらしい。

それにしても、シカやイノシシの死骸や骨を何度も見たが、なぜだろうか。
今回は天気や獣臭も相俟って、少しマイナスな印象を抱く部分もあったが、別の機会であれば、また違った印象を抱くだろう。

見事なチョックストーンやゴルジュ地形と、かすかに残る人々の暮らしの形跡。静寂の中でのダイナミックな遡行は充実の内容だった。