
8/18〜23まで、信州大学山岳会の剱岳での夏合宿に同行してきた。
そもそも、我が信大山岳会は、「OBは金は出すけど、口は出さない」というスタンスで、技術の伝承や運営はすべて現役主体で回っていた。
しかし、コロナ禍のさなか、現役が4年生と1年生3人となり、現役のみでの安全な会の運営が難しいことから、若手OBが合宿に同行するようになった。
現役支援としては、3度目の夏合宿となる。
私が学生だった10年前とは違って、剱岳の状況は大きく変化している。
その最たるものが、雪渓の状況だ。
夏合宿は八ツ峰Ⅵ峰各フェースでのクライミングやバリエーションルートといった登攀を主体とした合宿だが、長次郎谷の雪渓が融雪により通行不可となり、内容は縮小気味だった。
本年度は昨冬の豊富な降雪により、長次郎谷はなんとか持ち堪えてくれたので、かつてのような夏合宿を期待したのだった。
登攀2日目より、現役と合流し初日はDフェース「富山大ルート」へ。
傾斜があり、所々脆くて緊張感のある下部を抜けると、上部は爽快なリッジとなる好ルート。
抜けるような青空の中を流れる雲が美しい1日だった。



登攀3日目。まだ薄暗い長次郎谷の雪渓の端に先頭が乗るや否や、下部の一部が崩壊した。
幸い怪我はなかったが、その後雪渓の状態を確認するも相当不安定で、10人近くの学生を往復させるにはリスクが高すぎる。
高巻きも不可能ではないが、この人数では現実的でない。
しばらく逡巡した結果、さらに崩壊が進み形状に変化がない限り、長次郎谷は今期の営業は終了だろう、と判断した。

登攀4日目。登攀することもさることながら、剱岳の概念を把握することも主要な合宿の目的ではなかったか。
そこで、池の平から北方稜線を辿って、頂上を目指すことにした。
できることなら登攀も交えつつ。
この日が唯一、視界が悪く時折雨もパラついていたが、ガスが切れ、突然目の前に立ち塞がる小窓の王の威圧感に気圧された。
夕方、三ノ窓から臨む富山平野へと沈む夕日が、強烈に美しかった。



登攀最終日。昨日のメンバーの様子と、装備の状況から、北方稜線隊の半分のメンバーと八ツ峰主稜上半部に向かった。
ロープが1本しかなく、マネジメントの主体は学生なので時間はかかったが、急峻なリッジを辿って頂上に立ち、夕暮れの真砂沢に着いたとき、とにかくやれることはやったな、という感情と安堵感に満たされた。



下山日。真砂沢から黒部ダムへ。ハシゴ谷乗越から見る剱は、豪快な表情だ。
一昔前より、樹木が成長して視界が悪くなっただろうか。
ここで剱岳とはお別れだ。私はその姿を目に焼き付ける。
学生たちは一瞥もせず、一目散に進んでいった。
もう降りたら何を食うかしか、考えてないかもしれない。

真砂沢をベースとした合宿は、剱沢ベースや穂高での合宿よりもプリミティブな感じがして味わい深い。
しかし、それも、時代によって移り変わるものだろう。
今回で現役支援として合宿に同行するのは最後となる。
大学山岳部という不安定な組織に、リスクはつきものかもしれない。それでも、OBが手取り足取り何かを伝えるよりも、山の中で自ら考え、行動することの方がより重要だし、誤魔化しの効かない体力や歩荷力と、山で行動し続ける生活力を培ってほしい。
私自身も、山を複合的に楽しむベースは、信大時代にある。
とにかく山に入り、考え、学び続けること。必要なことはすべて山が教えてくれるはずだから。