
冬の北アルプスの核心部を貫く、黒部横断という縦走形態がある。それは、信濃大町側から後立山連峰を越えて、黒部川を渡り、立山連峰を越えて富山へと抜けるものであるが、ルートの取り方は無数に存在する。スキーではなく徒歩での横断の場合、黒部ダムより下流の下ノ廊下から黒部別山や剱岳を絡めるのが通常だ。
豪雪地帯における気象環境の厳しさと、逃げ帰るにも3000m級の稜線を越えなければならないという隔絶性による困難があり、クラシックな課題として昔から一部の登山者によって実践されてきた。近年も、その注目度は衰えるどころか一定の高まりすら感じる。
我々は当初、岩小屋沢岳〜十字峡〜大滝尾根〜剱岳〜早月尾根のルートを検討していた。しかし、1週間前の確認山行で爺ヶ岳から眺めた剱岳、そして黒部別山は、薄々気づいてはいたが積雪不足で黒々としていて、低標高帯での藪漕ぎによる苦戦が容易に想像できた。快不快の問題だけでなく、「このコンディションではここを登るべきではない感」が漂っていて、その感覚は全員に共通しており、計画を再考することとなった。

そして、決まったルートは、ブナ立尾根〜野口五郎岳〜水晶岳〜赤牛岳〜上ノ廊下横断〜薬師岳東面。そして、あわよくば稜線を縦走して剱岳まで行く、というものになった。
下ノ廊下を越える多くの黒部横断とは異なり、さらに上流の上ノ廊下での横断となる。地形的な険しさは下ノ廊下周辺には及ばないが、北アルプスの最も東西にボリュームのある地域がゆえの下界との隔絶性は特筆するものがある。そして、何よりも容易には近づけない冬の薬師岳の東面を登る、というロマンに私の胸は高鳴った。
Day1:12月27日 晴れ
入山時の長期予報は、あまり希望の持てない天候を示していた。予備日を入れて最長17日間の大いなる山旅。身体の深い部分から込み上げる熱を原動力として自ら望んだものにもかかわらず、その茫漠とした時間の全てに起こりうることを、想定し尽くすことはできないので、不安が尽きることはない。暗闇の中、入山地点の葛温泉へと向かいながら、いつにも増して雪道を進む車の振動が大きく響く。
今回のメンバーは、21/22シーズンにも一緒に黒部横断した「富山のWさん」と、気心の知れた「S氏」。ぼちぼち会話はしていたけれど、それぞれがそれなりに緊張しているのが伝わってきた。
入山前鬱。何か挑戦をするとき、幾度が経験してきたそれとの付き合い方も、次第にわかってきた。その感情を否定せずに傍観すること。寒さや粗食、そして重荷、あるいは雪崩などのあらゆるリスクといったネガティブな要素の引力は強烈だ。その渦に飲まれてしまわないこと。ひとたび入山してしまえば、ネガティブな感情はなりを顰め、あとは淡々と日々の最善を尽くしていくだけになる。
暗闇の葛温泉ゲートから林道を黙々と歩いて高瀬ダムへ。好天周期のうちに赤牛岳を何としてでも越えたいので、初日のミッションは、標高差1200m強のブナ立尾根を登り切ることだ。肩の荷の重量は、30kg程度。慣れない体にはそれなりにきつい。序盤は積雪も多くなく快調だったが、さすがに後半は積雪も増え、先頭は空荷でラッセルしながら、稜線を目指す。早出したおかげで15時過ぎには烏帽子小屋にたどり着くことができた。

Day2:12月28日 風雪→晴れ
朝まで風雪が続き、視界もなかったので、天候の回復を待って出発する。次第に天候は回復し、青空が広がり出した。稜線は風で雪が飛ばされているため順調に進んでいく。この好天を逃すわけにはいかない。昨日に引き続き、今日も頑張って進む日だ。

翼を左右に広げたような水晶岳を眺めながら、感慨に浸る。思い返せば、10年前の今頃もこの稜線を歩いていた。2016/17の年末年始に、当時信大山岳会のリーダーだった私は、部員全員で臨む一年間の決算的な冬合宿の舞台を、水晶岳に定めた。皆でフォローし合いたどり着いた山頂の景色を今でも忘れることはない。みんな、俺はまだ登っているよ!

東沢乗越から水晶小屋までの200mほどの最後の登りがなかなかに応えたが、水晶小屋の少し先にいい幕営地を見つけて、その日の行程を終了した。幕営地からは、今日進んできた稜線をはっきりと見渡すことができた。


Day3:12月29日 晴れ→曇り
やや風は強いけれど、完璧な晴天。水晶岳の頂上に辿り着くころ、太陽が八ヶ岳の方向から昇ってくる。3人で記念撮影をすることはなく、ただ刻一刻と変わるマジックアワーをそれぞれが味わいながら、シャッターを夢中で切った。



水晶岳からさらに北へ縦走し、赤牛岳へと向かう。北アルプスの心臓部ともいえる赤牛岳からは、およそ下界らしきものは確認できず、四方を大きな山々に囲まれていた。そして、薬師岳の東面の迫力が凄まじい。これは、1つの山というより、山塊だ。巨大なカールと、重厚な雪稜を谷底へ落とすその様を正面に眺めながら、赤牛岳の北西稜を下降していった。

下降しながら観察していると、目当てとしていた第一稜は下部が岩が出ているように見える。また、東南尾根にコンタクトするため、稜線の歩行距離が長く、天候の隙をつくには分が悪い。したがって、山頂に直接突き上げる、薬師岳中央稜を登ることにした。
1692の標高点付近で、滔々と流れる黒部川に降り立つ。水量も思ったよりはありそうだ。我々はこれから、これからここを渡らねばならない。

じゃんけんの結果、富山のWさんが一番手を務めることとなった。Wさんは全裸になり、100円のレインパンツにネオプレンソックスという出で立ちの変態になった。これから自分達も川を渡ると思うと、笑うこともできずに鎮痛な面持ちでそれを見守る。
「では、ちょっくら行ってきま〜す」
左手にストック、右手に上陸後の服と靴を入れたビニール袋を抱えて、渡渉していく。水深は腰くらいだ。無事に成功して、それからロープを使って、ザックの荷物を巨大ビニール袋に小分けにして渡していく。1回の限界は7〜8kgくらいか、全員の装備を渡すには相当の回数、これを繰り返す必要がある。

あらかた荷物が渡った時点で、ついに私の番が来る。意を決しての水に浸かると身を切るような冷たさだ。それでも、一思いに突き進むしかないので、最後は奇声を上げながら渡りきった。歯の根も合わぬ中、必死で服を着ると、ようやく生きた心地がしてきた。
その後もロープで荷物を渡し続ける。いつしか荷物が強い水流部を横断する核心部に差し掛かると、ちょうど手繰り寄せる手元のロープが凍りついた箇所となってしまい、毎度そこで手を離しそうになる。前腕が悲鳴を上げるなか、鬼の形相でそれを掴む。あまりにも原始的な方法で、側から見たら滑稽かもしれないが、本人たちは至って真剣である。
最後のS氏が渡る頃には、黒部の谷底に夕闇が迫り、川の水は鈍色に澱んでいた。全員が渡りきるまでおよそ3時間。精魂尽きて渡渉地点すぐわきの河原にテントを張る。今日は雪から水を作らずとも、黒部川の水をいくらでも汲めるので飲み放題だ。お互いの労をねぎらいながら疲弊した体を存分に潤した。

明日からは、いよいよ薬師岳東面に取り付くことになる。気付けば湿雪がテントを濡らし、標高の低さと暖気によってシュラフの中でじんわりと汗ばむほどだった。黒部川の囁きを聞いているうちに、瞼が徐々に重たくなり、幸福なまどろみの中へと沈んでいく。
【後編】に続く・・・


