ソ連時代の都市計画のもとに造られたビシュケクの街は、歴史的建造物はないものの市内の至る所に緑地が整備されていて、オークや白樺の新緑と色とりどりの花が美しい。なかでも、キルギスが原生地の一つであるチューリップは、象徴的な花としてあらゆるところで可憐に咲き誇っていた。

レストのある日に、国立歴史博物館に向かった。キルギス語、ロシア語に加えて、英語での説明もあってありがたい。2022年にリニューアルされたようで、旧石器時代から現代に至るまでのキルギスの歴史が非常によくまとまっている。

中央アジアの山岳地帯に位置するキルギスは、人口の7割以上をキルギス人が占め、それにウズベク人、ロシア人が次いでいる。キルギス人はチュルク系の民族で日本人に風貌が似ており、我々は決まって現地語で話しかけられ、たびたび残念な顔をされた。キルギス人の起源は、南シベリアのエニセイ川周辺で遊牧生活をしていた民族で、時代の荒波に乗って16世紀に現在の天山山脈の麓に移動してきたとされる。

シルクロードの通過するキルギスは、中国やイスラムの影響を受けつつ、遊牧騎馬民族の攻防も絡み、非常に複雑な変遷を辿る。古代から交易や民族の移動が盛んであり、イラン系ソグド人を中心に多様な民族が住んでいた。当時は仏教やゾロアスター教の影響が濃かったが、トルコ系民族の西進に伴い、10世紀に建国されたカラ=ハン朝がイスラーム教を受容。13世紀にはチンギス=ハンのモンゴル帝国による支配が及び、1876年にロシア領となり、ソ連の崩壊と共に独立、という過程を経る。日本のように長きに渡って単一国家、単一王朝の国家とは違い、理解は難しいが非常に興味深い。

キルギス国立博物館
遊牧民の住居、ユルタ。天井の作りをデザインしたものが、キルギス国旗に使われている

別の日のよく晴れた日、世界でバイカル湖に次ぐ透明度を誇るイシククル湖に向かった。
ビシュケクからバスが出でいるのだが、バスターミナルに着くと、なんと閉鎖されていた。新しいバス停を近くにいたお姉さんに尋ねて事なきを得たが、いきなり出鼻を挫かれた。
ビシュケクからイシククル湖北岸の街、チョルポン・アタまでは、マルシュルートカで4時間、400C。1600mを越える高地にありながら、真冬でも凍らない「イシク」=熱い「クル」=海というのがその名の由来だ。噂に違わぬ透き通った水を少し舐めると、微かに塩味がした。
遠くに天山山脈が連なる、遠浅の湖水を膝まで浸かりながらのんびりと楽しんだあとは、穏やかな波打ち際を裸足で歩いて街まで戻った。波の囁きをBGMに、足の裏で砂浜のざらつきを感じながら流れていく時間は、天気の都合で再入山できない、どこか曖昧な苛立ちを徐々にほぐしていった。

チョルポン・アタ行きのマルシュルートカ